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天智・天武の深層

 中村 真理子 (著), 園村 昌弘 (原作)『天智と天武』が連載終了した。面白かったが不満も残った。特に最後に天智と天武が同性愛にあったことを匂わして終わるのはよくない。同性愛を否定するものではないが、天智と天武がというのは間違いだ。もちろん話の途中でそういう勢いになるのはいいが、あれは余計な「読者サービス」だ。
 明に負けて逃げ帰ってくるところから後のストーリーを追おう。以下は単行本の宣伝の惹句にコメントをつけたものだ。◆が私。
7
愛する息子と中臣鎌足 

白村江での大敗北で捕虜となった中大兄皇子、大海人皇子、豊王は朝鮮半島を脱出、命懸けで日本へ戻ってきた。豊王は日本に帰化することを決意、日本人としての名前を中大兄に要望する。与えられた名は「中臣鎌足」。その意味は、「中大兄の手足のような忠臣」である。
ところが、その名前を試される事件が起きる…!!鎌足が最も愛する息子・定恵が唐から帰国したのだ。定恵は故・孝徳帝の落とし胤という噂があり、中大兄皇子にとっては皇位継承上の敵となりうる。中大兄は定恵を殺害することを鎌足に伝えた。
主君に従って息子を見殺しにすべきか?しかし大海人皇子は助けるべく行動に出る。親の情か、主君への忠誠か。鎌足の決断は…!?

◆鎌足が朝鮮の王で中大兄に付き従ったというのはそれでいいと思う。歴史学の側はまだ認めまいが。朝鮮半島の海戦ではほぼ死地にあった中大兄を大海人が救って帰る。ほっておけば死んだものを、と自嘲する中大兄に対して、私が殺したかったからだと大海人は答える。

8
やられたらやり返せ!仁義なき兄弟闘争!! 

にっくき弟・大海人皇子の裏をかいて定恵暗殺を成功させた中大兄皇子は、
その余勢を駆って天皇に即位することに。民心の離反を憂慮する中臣鎌足は、
絢爛豪華な即位式に反対したが、得意絶頂の中大兄は聞き入れない。
外国の使節や貴族・豪族を多数招いた式典で、
新大君は余興として額田王と大海人皇子に歌を所望する。ところが中大兄の妻である額田王は、大海人との大胆な不倫を歌い上げ、場内を騒然とさせる。
大海人は、さらに臆面も無い返歌を…!?
やられたらやり返す、仁義なき兄弟の戦いを描く権謀術数絵巻!!

◆額田王は大海人から奪った女だが、ふたりの心はつながっている。天智はまわりの誰も信じられない。
9
運命の兄弟、背徳の愛そして甘味な憎悪 

中大兄皇子のブレーンにして希代の梟雄・藤原鎌足が死んだ。人々は蘇我入鹿の祟りだと噂する。怒った中大兄は、入鹿を具現化した仏像・救世観音を
焼き討ちにしようと斑鳩寺へ! 
それを阻止せんとする大海人皇子と、炎上する斑鳩寺で対峙し、真情をぶつけ合う。
血で汚れた我が人生は、愛しい入鹿を抱けなかったせいだと
叫ぶ中大兄。それに対し大海人は全裸となり、自分を入鹿だと思って抱け、そして愛せよと迫る……背徳の愛、そして甘味な憎悪を身にまとう
運命の兄弟、いったいどこに行くのか!?
 
◆入鹿は大海人の実の父である。中大兄が入鹿を襲って虐殺する。その魂がさまよっていると法隆寺に救世観音を作る。天智はそれを焼き討ちにしようとする。作者は中大兄の入鹿虐殺の背後に激しい愛と憎しみがあったと設定している。
10
壬申の乱……宿命の兄弟喧嘩、決着!! 

天智天皇の跡を継ぐのは誰なのか!?
天智の息子・大友皇子と、天智の弟・大海人皇子との皇位継承争いが勃発する。
密かに大海人を慕う大友だったが、心を鬼にして闘争心を鼓舞! 
まるで天智帝の生まれ変わりのごとき武者と化す。
一方、大海人軍は快進撃を続け、大友の本営直前の瀬田橋まで到達し、もう勝ったも同然と楽勝ムード……そこで大友は練りに練った秘策を!!
宿命の兄弟喧嘩の決着を、古代日本最大の内乱”壬申の乱”を通して描く!!

◆天智の死の肝腎の場面を作者は思考停止している。大海人に殺された可能性は十分にある。大海人は瀬戸の水軍から援助を得て盛り返す。そのお礼に海の太陽神アマテラスを祀った伊勢神宮を作る。
11
運命の兄弟喧嘩、驚天動地のラスト!! 

古代最大の内乱”壬申の乱”は、大海人皇子(天武天皇)の勝利に終わった。
しかし藤原鎌足の末裔が、天武帝崩御後、力を伸ばす。藤原四兄弟は妹・光明子を皇后の座に着け、天下を牛耳ったも同然だったが、突然、四人とも病死する。
これは蘇我入鹿の祟りだ!!
恐れおののく光明皇后にこう宣言したのが怪僧・行信だった。行信は入鹿の祟りを封じ込めるべく、様々な手を打っていく。”聖徳太子”という名を贈り、
生前の名誉を回復させるが、祟りは治まらない。
とうとう命を懸けて、行信は最後の手段を!?運命の兄弟喧嘩、驚天動地のラスト!!

◆天武の早すぎる死。死後は藤原一族の持統が天武のしたことをすべてひっくりかえして、天智路線に戻してしまう。その後藤原の時代は長く続くのだが、その背後で入鹿の祟りを藤原氏は恐れ続ける。それで実在しなかった聖徳太子をでっちあげて、入鹿さんあなたは聖徳太子ですよということにして、封じこめた。聖徳太子非実在説は今や歴史学の主流になりつつある。

author:気功文化研究所・津村喬, category:津村日記, 23:43
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天智・天武の問題

 
天智・天武問題がいまどうなっているのかを知りたかった。
劇画の世界では、ご存じだろうが園村昌弘原案監修、中村真理子画
『天智と天武・新説日本書紀』が次第に今までにない「危険」な領域に
踏み込んでいて、毎号目が離せない(ビッグコミック本誌)。
歴史書の分野ではどうなっているのか。本屋で探してみた。
といっても金のない時期で、あまり知的な贅沢はできない。
吉川信司の日本古代史➂『飛鳥の都』(岩波新書)
立美洋『天智・天武死の秘密/万葉集を読み解く』(三一書房)
小川秀之『額田王の童謡・万葉集九番歌考』(風詠社)
の三冊を買った。このうち吉川のものは総合的な記述だが、「危険」な話は何も含んでいず、学界の常識に従っているように思える。だがもちろんそれも必要である。それにくらべると『額田王の童謡』と『天智天武死の秘密』のほうはものすごくマイナーな本であり、学界「常識」を著しく逸脱している。立美氏は...なんでも屋の編集プロダクションを経営、小川さんのほうはシドニー、マックオリー大学卒業後自営業という人で、学界とは縁がない

立美氏の本から手をつけて、三日間で通読した。
これは天智・天武が実際に何をしたのかの考察をまったく別にして、その隠された死に方を残された歌と日本書紀とから浮き彫りにしたという仕事である。日本書紀の記述では二人とも病気でちゃんと宮殿で死んだことになっている。しかしそれぞれの奥さんが残した歌から見ると、そうではない。公式の歴史では平和に死んだことになっているが二人とも戸外で襲われて殺されたとしか考えられない。それを書紀は隠したし、その隠蔽を上塗りするような学者の解釈だけがなされたきた。岩波や角川で通用している歌の解釈をひとつひとつひっくりかえしていくプロセスは説得的だし、逆に学界はこの程度の論議ですましてきたのかと思わせる。

第一部は「天智天皇は山科野で殺された」である。日本書紀では死の何年か前から天智が病気たったという印象を振りまこうとしているが。その間にも宴会の記事がまじったり「軽い不調」の気配をつないでいるだけで、46歳の天智が病気だったという証拠は示せない。天武は紀大人に命じて天武を殺させ、山科で命をうばったというのが著者の結論である。
第二部では天武の政策に皇太子たちが次第に強い不満を持ち、天武は殺された。そう持統天皇は歌にしている。
天智の話に比べて、この第二部の方はよく納得できなかった。むしろ問題は持統の権力簒奪にあり、天武を殺すほどの準備をしていたのなら持統が大津皇子を見せしめに殺すことを許さないことができたはずだ。天武は無能な草壁(持統の息子)をあきらめ、大津皇子を自分の補佐にとりたてていたからだ。

納得したところもあれば、できないところもある。もう少し天武の残した仕事を詳細に検証してみないと歌の解釈だけでは読み切れない。ただ貴重な問題提起だったとは思う。




author:気功文化研究所・津村喬, category:津村日記, 17:51
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